今日は「仕事」ということについて考えみたいのう。
最近読んだ書物の中にこんな言葉があったんじゃ。
学校とは違い、社会では誰も「答え」を教えてくれません。
無敵の独学術 ひろゆき
給料をもらいながら、仕事を教えてもらえるほど社会は甘くないのですね。
と。
わしもはっとされられたんじゃ。
至極当たり前のことなのじゃが、最近はぁこんな気位で仕事に向かっている人間をあまりみないでのう。
わし自身もぉ、物事を教える側になっての思考の根底には、正直なところ「教えてあげないといかんなぁ。伝えておかないといかんなぁ。」があったでぇ。
改めて、考えてみると・・・これは違うで!
これというのは、仕事をする側の(どんな職場の新人さんであっても)「教えてもらっていません。聞いていません。分かりません。」という思考じゃ。
そして、仕事を教える側の「教えていない方がいけない、教えないといけない。」という思考じゃ。
「仕事」「お給料をいただくこと」ってなぁ、そんな甘いもんではないでぇ。
わかるかのう?
職場の円滑なコミュニケーションという意味では、
仕事を教える側がこれを伝えておいた方が動きやすいだろうなぁと気づかい、思いやり、教えてあげるのは良いことじゃ。
しかし、
ここで重要なのは「思考」じゃ。
取り組む姿勢じゃ。
わかるかのう?
今の人は、会社や上司、先輩に教えてもらって当たり前。聞いてないから分からない。言わないほうが悪いんだ。と考えがちじゃ。これは、若者だけじゃないでぇ。いくつかキャリアを重ねた人でもこういう考えの人は多いでぇ。
最近のわしもそうじゃ。時代に慣れてしまい「伝えておかなくて悪かったなぁ。」なんて思ってしまっていたからのう。そんな時に、まだ45歳の若者が書いた書物で気づかされたんじゃ。
ここでもう一度考えて見るのも良いことじゃ。
これは、問題提起じゃ。
良いきっかけと思い一人でも多くの人が「仕事」ということ。
「お給料をいただくということ」を考えていて欲しいんじゃ。
そして、
社会に出て、仕事をするには、お給料をいただくには、それまでに何を学ぶべきか?何を身につけておくべきか?
働き方が変わってくるかもしれん。
学校に行く意味を見出す若者が出てくるかもしれん。
子育ての方向性が見えてくるお母さんがいるかもしれん。
(この、問題提起をすることで、こんなことを願っているんじゃが・・・)
日本人はもっとたくましいはずじゃ。
受け身じゃダメじゃ。
分からなければ考えればいい。聞けばいい。
知らなければ教えを乞えばいい。
周りを見て仕事も技術もぬすめばいい。
「仕事」ってそういう気位をもって働くことじゃなかろうかのう。